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札幌地方裁判所 昭和56年(行ウ)4号 判決

原告

金子ミサオ

右訴訟代理人弁護士

友光健七

小野寺利孝

山下登司夫

二瓶和敏

戸張順平

服部大三

川人博

畑江博司

滝澤修一

仲山忠克

黒岩容子

安田寿朗

山本高行

猪狩康代

村松弘康

右訴訟復代理人弁護士

猪狩久一

被告

岩見沢労働基準監督署長藪口昭夫

右指定代理人

菅原崇

佐藤雅勝

佐藤久信

岩渕禮治

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告の請求の趣旨

1  被告が昭和五三年七月三日付で原告に対してした労働者災害補償保険法による遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する被告の答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  原告の請求原因

1  原告の亡夫金子亀之進(以下「亡亀之進」という。)は、明治三四年一二月一日生れで大正一〇年五月より昭和九年七月までの一三年三か月間釧路太平洋炭鉱等三か所の炭鉱において、昭和一〇年九月から昭和三一年一〇月までの二一年二か月間住友石炭鉱業株式会社奔別鉱業所において、合わせて三四年五か月間坑内作業員として就労し、粉じん作業に従事した。

亡亀之進は、昭和五〇年六月一〇日ころから、じん肺症(以下「じん肺」という。)の治療を、昭和五二年三月初旬ころからこれに加え盲腸癌の治療を受けていたところ、昭和五三年二月二五日死亡した。

2  原告は、被告に対し、亡亀之進の死亡はじん肺に起因するものであるから業務上の事由によるものであるとして、遺族補償給付及び葬祭料の請求をしたところ、被告は、昭和五三年七月三日付で、亡亀之進の死亡は業務上の事由によるものとは認められないとして、右各請求に対し、いずれも不支給の処分をした(以下「本件処分」という。)。

原告は、本件処分を不服として北海道労働者災害補償保険審査官に対して審査請求したところ、同審査官は昭和五三年一〇月三一日付で右請求を棄却したので、更に、原告は労働保険審査会に対し再審査請求をしたが、同審査会は同五六年四月一三日付で右再審査請求を棄却する旨の裁決をなし、右裁決は同年五月一四日、原告に送達された。

3  しかしながら、亡亀之進の死亡は、以下のとおり業務上の事由によるものである。

(一) 亡亀之進の死亡に至る経過は、以下のとおりである。

(1) 亡亀之進は、昭和三八年ころ、じん肺の初期症状に襲われ、適切な治療を受けられないまま症状が悪化し、昭和五〇年六月一〇日にじん肺専門医である斎藤病院で治療を受けた際にはすでに病状はかなり進行しており、著しい機能障害があるとの診断を受け、地方じん肺診査医の審査を経て、被告から右同日を発病日とするじん肺法(昭和五二年法律第七六号による改正前のもの。以下同じ。)によるじん肺管理区分管理四との決定を受けた。

(2) 亡亀之進は、右同日以降、同病院に通院して本格的治療を受けたが病状が好転せず、咳嗽、喀痰、喘鳴、全身倦怠感が継続し、昭和五一年一月一九日からは同病院に入院して治療を受けた。

(3) 亡亀之進は、昭和五二年三月初旬ころから右下腹部の激痛を訴えるようになり、国立札幌病院北海道がんセンターで診察を受けたところ、盲腸癌と診断され、同年五月六日から岩見沢市立総合病院(以下「市立病院」という。)外科に転医して、同月一〇日に盲腸部分切除の手術を、同月一六日に吻合手術を受け、同年一〇月六日に退院し、その後昭和五三年一月までの約三か月半の間斎藤病院に再入院してじん肺の治療を受けたが、盲腸癌が再発したため、同月一三日に再び市立病院に入院し、同月二〇日開腹手術を受けた。

(4) 亡亀之進は、昭和五二年三月ころから食欲不振で、昭和五三年一月二〇日の手術後、三八度くらいの発熱が続き、咳・痰が増加し、経口摂取はほとんど不可能であったが、意識ははっきりしていたところ、同年二月二五日早朝になり、痰が喉にからみ、切れなくなって、呼吸が苦しそうになり、午後になると呼吸音も徐々に弱々しくなりカラカラという痰がつかえているような音が続いていたが、午後四時ころ、痰が喉にからみ呼吸困難を来して死亡した。

(二) 亡亀之進の死因は、じん肺によるものであるから、業務上の事由に基づくものということができる。

(1) 以上の亡亀之進の死亡の経過によれば、(イ)亡亀之進は、死亡時七六歳という極めて高齢なじん肺患者であったこと、(ロ)亡亀之進のじん肺は、明確な自覚症状が出てからでも約一五年間経過し、継続的な治療によっても症状が徐々に進行し、咳嗽、喀痰、喘鳴、全身倦怠感が継続し、慢性的に高度の心肺機能の障害と心不全に陥っていたこと、(ハ)亡亀之進は、昭和五二年三月ころから、盲腸癌を併発し、初期から食欲は不振で、死亡直前には経口摂取はほとんど不可能であり、全身状態は悪化していたこと、(ニ)亡亀之進は、手術後発熱と咳・痰の増加に襲われ、死亡当日の昭和五三年二月二五日、痰が喉にからみ、呼吸困難に陥っていたことなどが認められるが、これらの事情を総合すると、亡亀之進は、死亡時七六歳という高齢と長期間のじん肺罹病により相当程度全身状態が悪化したうえ、更に盲腸癌の発病、二度の手術による栄養摂取の不可という悪条件が重なり、極度に全身状態が悪化したことにより、全身浮腫、発熱、咳・痰の増加に襲われ、ついには、喉にからんだ痰を排出することもできず、呼吸困難を来して死亡したものというべきである。

(2) 以上のとおり、亡亀之進は、長年にわたるじん肺により、著しい肺機能障害に陥っていたところ、その後に合併した盲腸癌により、じん肺による全身状態の悪化が促進され、あるいは少なくとも両症状が相俟って相互憎悪が進行し、最終的には喀痰不能により死亡したものであるから、じん肺により死亡したものと評価されるべきである。

(三) 亡亀之進の死因が悪性腫瘍(癌)によるものであっても、悪性腫瘍(癌)は粉じん作業によるものであるから、業務上の事由に基づくものということができる。

(1) 粉じん作業者と発癌の関係については、第一に、各種の疫学的調査結果からみて、少なくとも、石綿の吸入により肺癌、悪性中皮腫等が高度に発生すること、いかなる粉じんの吸入によっても肺癌が多発していることの二点については既に医学上の定説となり、労働行政においてもその補償が定められるに至っている。このことは、粉じん吸入が何らかの形で発癌に結びつくことを推測させるものであり、現に、粉じん作業者ないし粉じん暴露者について、粉じんの種類を問わず、かつ臓器の部位を問わず、粉じん暴露の量と正の相関関係において癌が高率に発生するという疫学的調査結果があり、疫学的にはっきりした統計学的有意差が存在するのである。

(2) 第二に、近年において発癌のシステムが徐々に解明されるにつれ、粉じんが発癌の過程にどう関与し、どう促進的機能を果たしているかが、理論的かつ臨床的に解明されつつあり、以下の各点が指摘されている。

(イ) 粉じん作業者は、一般に体液性及び細胞性免疫機能が異常になっている。このことは、体液性免疫については、血沈、C反応性蛋白、リュウマチ因子、抗核抗体、抗肺抗体その他自己抗体、γグロブリン、免疫グロブリン等々の各指標においていずれも異常な亢進が認められ、細胞性免疫についてはT細胞等の低下が示されていて、実証的に明らかにされており、又、粉じん作業者、特に重症のじん肺患者に進行性硬化症、サルコイドーシス、全身性ルーブス、多発性筋炎等の自己免疫疾患が高率に発生していることからも裏付けられる。

(ロ) こうしたじん肺患者における免疫学的な異常の最大の原因は、粉じん吸入により蓄積された鉱物性粉じんが長期間抗原となって生体に抗原抗体反応を促すこと、すなわち、鉱物性粉じんのアジュバント効果にある。

(ハ) こうした鉱物性粉じんのアジュバント効果により、発癌に対する各種の生体の防御機能が十分機能しえなくなる。

(ニ) この具体的システムはいまだ十分に解明されていないが、自己免疫疾患の患者に癌の発生率が高いことからも十分推定される。

以上のとおりの、鉱物性粉じんの吸入→生体へのアジュバント効果の持続→生体の免疫機構の異常→生体の防御機構の低下→自己免疫疾患の多発若しくは各種悪性腫瘍の多発の一連の論理は、各関連性も十分立証されており、信頼に足りるものである。

(3) 以上の見地からすると、亡亀之進が罹病した盲腸癌については、長期間肺内に蓄積した鉱物性粉じんの生体へのアジュバント効果、免疫機構への悪影響、生体の防御機構の低下が一つの原因となって、その発生が促進されたことも十分考えられ、その点からも亡亀之進の死亡は業務上のものと評価されるべきである。

(四) 業務上疾病等の認定は、業務との間の合理的関連性があれば足りるものというべきである。

労働者災害補償保険法は、本来業務上疾病等により生計の糧を断たれた被災労働者及びその遺族について、その最低限の生活を維持するため、最低限の水準の補償をすべく規定された社会的保護立法である。したがって、その解釈にあたっては、古典的市民法の原則を立法の趣旨である被災者保護の見地から修正しなければならない。本件においては、業務と疾病、死亡との関係に合理的な関連性が認められれば因果関係を肯定すべきであり、又、疑わしきは被災労働者の利益にの原則を尊重すべきであって、これらの点からみれば亡亀之進の死亡は業務上の死亡と評価されるべきである。

4  よって、原告は、被告に対し、本件処分の取消しを求める。

二  請求原因に対する被告の認否並びに主張

1  請求原因第1、第2項の事実はいずれも認める。

同第3項(一)のうち、亡亀之進が昭和五〇年六月一〇日ころから昭和五三年一月二〇日まで原告主張の症状により主張の治療を受けたことは認め、その余の事実は否認する。同項(二)ないし(四)の主張については争う。

2  亡亀之進の死亡は、以下のとおりじん肺に起因するものではなく、業務上の事由によるものとはいえない。

(一) 亡亀之進の死亡に至る経過は、以下のとおりである。

(1) じん肺の状況

(イ) 亡亀之進は、昭和五〇年六月一〇日、珪肺症と診断され、検査の結果、エックス線写真の所見が第一型、呼吸困難度がⅢ、肺の換気指数が四〇以下であり、換気機能の型が第四象限に該当するものであったために、じん肺法によるじん肺管理区分管理四の決定を受けたものである。

(ロ) ところで、エックス線写真による亡亀之進の肺の所見については、昭和五〇年六月一〇日の斎藤病院での初診時において第一型の所見が認められ、その後、昭和五二年五月六日に同病院を退院するまで診療録上その所見は変わらず、右同日市立病院に入院した際に撮影したエックス線写真では、1/0(第一型と判定するが、標準エックス線フイルムの第一型に至っているとは認められないものをいう。)、昭和五三年一月一三日に同病院で撮影したエックス線写真では0/1(じん肺の陰影が認められるが、第一型と判定するに至らないものをいう。)と読影され、エックス線写真上はじん肺の程度は軽度であった。

亡亀之進の肺機能検査の結果についてみても、最大換気量、一秒率、パーセント肺活量の推移からすると初診時以降決して悪化していったとは認められず、市立病院における二回の手術の前である昭和五二年五月六日及び昭和五三年一月一三日にもそれぞれ肺機能検査がなされたが、その結果いずれも手術に耐えられる状態と認められて、手術が施行された。

なお、肺機能の低下は、血液中の炭酸ガス分圧を高め、呼吸中枢神経麻痺を起こすものであるが、亡亀之進に対して、同じく呼吸中枢神経麻痺を起こす作用のある鎮痛剤オピアトを死亡前一九日間にわたって計四五回も実施されているにもかかわらず異常なく経過したことは、亡亀之進の肺のガス交換機能の損傷の程度が軽かったことを示すものである。

(2) 盲腸癌の状況

亡亀之進の盲腸癌は、昭和五二年三月に回盲部の腫瘍が発見された時には既に高度に進行した状態で回盲部の巨大腫瘤のみならず腹部全体が膨満しており、同年五月の第一回手術において癌腫を切除はしても転移巣すべてを取り除く根治手術はもはや不可能な状態であり、手術前の予想では、むしろ、試験開腹に終わる可能性の方が強い程であった。そして、第一回の手術においては、癌病巣を一応取り除いたものの、病巣を完全に摘出することは困難であり、むしろ当時癌腫によって腸閉塞の状態にあったために癌腫の前後で腸を短絡し、腸閉塞の状態を解消することがその主たる目的であった。右手術によって腸閉塞の状態は一時的に解消され、亡亀之進の全身状態は一旦好転したものの残存病巣が肥大化することは必然的であり、手術を担当した大平医師は手術後六か月から一年以内の生命と判断していた。昭和五三年一月に受けた癌性腹膜炎と局所再発による再手術も病巣の摘出を目的とするものではなく、病巣による腸閉塞の状態を少しでも解消するために、若干の病巣を除去して吻合することにより一時的な回復を計ったものであった。

(二) 亡亀之進の死因は、原発性の盲腸癌によるものである。

亡亀之進の全身状態は、昭和五二年三月の第一回目の手術後幾分好転したものの昭和五三年一月に市立病院に入院するころには第一回目の手術で摘出しきれなかった転移巣等が肥大化し、そのために全身状態も悪化していた。昭和五三年一月の手術後の経過は不良で、食欲もほとんどなく、人口栄養によって栄養を補給したものの体力消耗が著しく、全身が衰弱し、四肢のみならず肺浮腫を来し、癌性悪液質(癌によって全身が衰弱した状態)の状態で死亡したものである。亡亀之進の死亡直前の浅表呼吸、喀痰の増量等は、およそ癌罹患者の末期に共通してみられる全身衰弱によって生じた肺浮腫の一症状とみるのが妥当である。

以上を総合すると、亡亀之進の死亡の原因は、原発性の盲腸癌及びその転移巣による全身状態の悪化にあるものといわざるを得ないのであって、じん肺と亡亀之進の死亡との間に相当因果関係を認めるべき根拠はない。

(三) 亡亀之進の盲腸癌はじん肺によるものではない。

原告は、じん肺による免疫異常により腸癌が発生すると主張するが、胃以外の消化管の癌と粉じん暴露との関係を示したエンターラインの報告については、強力な攪乱要因に対して適切な配慮をしていないものとの批判がある。

そもそもじん肺と腸癌については、統計上、全国じん肺剖検例のうち、腸癌(小腸、結腸)の粗率は全死亡に対し〇・九パーセント、全悪性腫瘍に対し二・六パーセントであるのに対し、一般死亡者の統計をみると、その率は全死亡に対し〇・七パーセント、全悪性腫瘍に対し三・六パーセントとなっているのであって、統計的には何ら有意差は認められないのである。

また、原告主張のじん肺と悪性腫瘍の関係についての見解は仮説以前の段階のものであって、医学上の知見として確立されているものではない。

(四) 業務上疾病等の認定は、業務との間に相当因果関係が認められなければならないものというべきである。

(1) 労働者災害補償保険制度は、業務上の事由による労働者の負傷、疾病、障害又は死亡(以下「傷病」という。)に関して補償しようとするものであるが、業務上の事由による傷病とは、以下の理由により、労働者が業務遂行中に被り、かつ、その業務との間に相当因果関係の認められる傷病をいうものであり、原告主張のように合理的関連性の有無によって決せられるべきものではない。

(イ) 労働者災害補償保険法(以下「労災法」という。)二条の二は、業務上の事由による労働者の傷病に関して保険給付を行う旨を定めているが、右「業務上の事由」と労働基準法八章に定める災害補償の要件である「業務上」とは、同一の趣旨であると理解されており、労災法の保険給付の対象となる傷病と労働基準法の災害補償の対象となる傷病とは同一である(通勤災害を除く。)と解されている。

(ロ) およそ労働者に生ずる傷病は、一般に多数の原因又は条件が競合しているのであって、単にこのような広義の条件の一つとしてみた場合には、労働・業務が介在することを完全に否定しうるものは稀であるかもしれないが、業務上の傷病に関しては、労働基準法において無過失の使用者責任が使用者に課され、その履行が罰則をもって強制されているものであるから(労働基準法一一九条一号)、業務とその結果として生じた傷病との関連は、適正に解されなければならない。

(ハ) 業務上の傷病による損失の補填は、労働者の過失の有無にかかわらず、専ら使用者にのみ負担が課せられ、業務上である限りにおいては、原則として画一的に法定補償額の支払が義務づけられている。

(ニ) 労災補償責任を発生させる傷病を労働関係に規定された危険に基づく傷病として、私生活領域の傷病と区別するメルクマールが必要とされる。

(2) 以上からすれば、業務が傷病の原因であることの明確性が要求されるのは当然であり、傷病の発生及び経過の過程において、労働・業務が単に広義の条件の一つとして介在していることをもって、業務上の事由によって生じた傷病とすることはできず、業務と傷病との間に相当因果関係が存することが必要というべきである。

(3) ところで、この業務と傷病の相当因果関係を判断するうえにおいて、傷病の原因となりうる事実は、傷病の如何によって千差万別の態様がありうるが、業務と傷病を一般的に媒介しうるものは、時間的に明確な(又は明確にされうる)出来事しかありえないから、このようなアクシデント(災害)が一般的に要求されることとなる。したがって、労働者の傷病が業務上のものといいうるためには、一般に業務と災害との因果関係及び災害と傷病との因果関係の存在が必要となる。しかしながら、ここでいう災害とは、具体的な傷病の原因となる事実を認定するための技術的基準であるから、その意味では相対的なものであり、災害に該当する事実がなくともなお業務起因性を認めうる場合はありうるのである。しかし、この場合に、災害の概念に代わりうる概念を一般的に設けることは不可能である。そこで、発生状況が時間的に不明確な(又は明確にされえない)事由、すなわち、当該業務に従事する労働者の身体に対し、長時間(又は長期間)にわたって徐々に生起し又は作用する有害な事象、つまり「漸進的に疾病の原因となる事象」による疾病(災害によらない疾病)については、原則として特定のものを業務上の疾病として法定し又は指定することによって、業務起因性を政策的に確認していくほかはないわけである。わが国においても、労働基準法七五条二項及び同法施行規則三五条はその意味の規定である。このように、法規上業務と疾病との関連が密接不可分として列挙された疾病については、業務と因果関係を有する疾病として取り扱われることとなるが、列挙された疾病以外にも、業務との因果関係が明確なものもありうるので、このような場合には、医学上の一般的経験則等により、当該発病の結果とこの結果を発生せしめた業務との牽連関係が解明される限り、当該業務と相当因果関係のある業務上の疾病として取り扱うこととしているのである(昭和五三年労働省令第一一号による改正前の労働基準法施行規則三五条三八号、右改正後の同規則三五条、別表一の二第九号、以下本件において適用される右改正前の労働基準法施行規則を「労規規則」という。)。

第三当事者の提出援用した証拠

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録の記載を引用する。

理由

一  以下の各事実は当事者間に争いがない。

1  亡亀之進は、明治三四年一二月一日生れで、大正一〇年五月より昭和九年七月までの一三年三か月間釧路太平洋炭鉱等三か所の炭鉱において、昭和一〇年九月から昭和三一年一〇月までの二一年二か月間住友石炭鉱業株式会社奔別鉱業所において、合わせて三四年五か月間坑内作業員として就労し、粉じん作業に従事した。

亡亀之進は、昭和五〇年六月一〇日ころからじん肺の治療を、昭和五二年三月初旬ころからこれに加え盲腸癌の治療を受けていたところ、昭和五三年二月二五日死亡した。

2  原告は、被告に対し、亡亀之進の死亡はじん肺に起因するものであるから、業務上の事由によるものであるとして、遺族補償給付及び葬祭料の請求をしたところ、被告は、昭和五三年七月三日付で亡亀之進の死亡は業務上の事由によるものとは認められないとして、右各請求に対し、いずれも不支給とする本件処分をした。

原告は、本件処分を不服として、北海道労働者災害補償保険審査官に対して審査請求をしたところ、同審査官は昭和五三年一〇月三一日付で右請求を棄却したので、更に原告は労働保険審査会に対し再審査請求をしたが、同審査会は同五六年四月一三日付で右再審査請求を棄却する旨の裁決をなし、右裁決は同年五月一四日原告に送達された。

二  そこで、亡亀之進の死亡が、労災法一二条の八第二項、労働基準法七九条、八〇条の規定する「労働者が業務上死亡した場合」に該当するか否かについて判断する。

1  まず、亡亀之進の死亡に至る経過について検討する。

前記争いがない事実に、(証拠略)を総合すると、以下の事実を認めることができ、以下の認定を覆すに足りる証拠はない。

(一)  亡亀之進は、前記のとおり、大正一〇年五月より昭和三一年一〇月までの間合計三四年五か月間にわたり、炭鉱において坑内作業員として就労し、粉じん作業に従事してきたが、昭和五〇年六月一〇日じん肺専門医である斎藤病院において診察を受けたところ、咳嗽、喀痰、喘鳴、全身倦怠感が認められ、エックス線写真の像による所見においてはじん肺法四条一項所定の第一型「両肺野のそれぞれ二肋間以上三分の一以下の範囲に明らかな粒状影があり、かつ、大陰影がないと認められるもの。)と、胸部に関する臨床検査においては呼吸困難度がⅢと、心肺機能検査においては肺の換気指数が四〇以下であり、換気機能の型が第四象限に該当するものであったためにF3とそれぞれ判定された。北海道労働基準局長は、右判定を基礎として、じん肺法四条に規定する「エックス線写真の像が第一型、第二型、第三型、又は第四型(大陰影の大きさが一側の肺野の二分の一以下のものに限る。)で、じん肺による高度の心肺機能の障害その他の症状があると認められるもの」に該当するものとして、亡亀之進についてじん肺管理区分管理四と決定した。

(二)  亡亀之進は、その後同病院に通院して治療を受けたが、病状は不変で、咳嗽、喀痰、喘鳴、全身倦怠感が継続し、昭和五一年一月一九日からは、同病院に入院して治療を受けた。同病院では、気管支拡張剤、消炎酵素剤、強心剤、鎮咳剤の投与等の対症療法を行ったが、亡亀之進の諸症状は消退せず、胸部エックス線写真の像にも変化はなく、心肺機能はF3のままであった。

(三)  亡亀之進は、斎藤病院に入院中の昭和五二年三月初旬、右下腹部の激痛を訴え、検査の結果鶏卵大の腫瘍が認められ、国立札幌病院北海道がんセンターで診察を受けたところ、盲腸癌と診断された。同病院外科の市川医師は、根本的手術は不可能であり、試験開腹で終わる可能性も強いが、早急に腸閉塞に対する手術が必要であると判断したが、同病院には入院予約患者が大勢いたことから、市立病院の大平整爾医師に亡亀之進の治療を依頼した。

亡亀之進は、昭和五二年五月六日、市立病院で診察を受けたが、腹部が全体的に膨満しており、右下腹部に巨大な腫瘤が触知されという状態であった。大平医師は、同月一〇日に手術を施行したが、右下腹部腹腔内に盲腸原発と思われる巨大な固い腫瘍があり、回結腸動脈、右結腸動脈に沿ったリンパ線にも癌が移転し、結節部が累々と存在し、盲腸周囲の腹膜にも癌性の浸潤が認められ癌性の腹膜炎の状態であった。そのため、大平医師は根治手術は不可能であると判断し、主病巣である回盲部右結腸を部分的に切除し、回腸の末端と横行結腸の末端とを吻合したが、側腹腹膜の浸潤部分を摘出することは無理だったので、側腹腹膜には癌腫瘍が残存することとなった。大平医師は、亡亀之進の予後の見通しについては、癌腫瘍が残存していたことから、右手術後六か月から一年以内の生命と判断した。

(四)  亡亀之進は、その後同月一六日、右手術における腸吻合部の縫合不全のため、再度吻合手術を受け、同年八月一三日以降は抗癌剤の投与を受けてきたが、同年一〇月六日、ある程度経口摂取ができるようになり、小康状態を保っていたので、残り短かい余命を家族の近くで過ごし、接触できる機会を多く持てるようにしたほうがよいとの大平医師の配慮から、亡亀之進自身の強い希望もあって、一旦市立病院を退院し、斎藤病院に再入院することとなった。そして、亡亀之進は、斎藤病院においてじん肺の治療を受けるかたわら、市立病院に二週間に一回通院して経過観察と治療を受けていたが、癌の再発の兆候が認められ、極度の食欲不振となったことから、昭和五三年一月一三日、市立病院に再入院した。

大平医師は、同月二〇日に亡亀之進の手術を施行したが、手術時右下腹部に固い腫瘍が触知され、腸管の通過障害のため腹部全体が膨隆していて太鼓様を呈しており、開腹したところ腫瘍が右下腹部腔を大きく占めていた。大平医師は、もはや腫瘍を取ることはできない状態であったから、腸閉塞の状態を改善し、一時的にせよ症状の回復を計るために、回腸末端とS状結腸との吻合手術のみを行った。

(五)  亡亀之進は、手術後も、下腹部の膨満感、疼痛を訴え、食事も殆ど摂取しなくなり、同年二月四日ころからは高熱が続き、同月六日からはオピアトという鎮痛剤が使用され、同月一二日には右下腹部を切開し、糞便が皮下に出たためと思われる膿瘍の処置を行ったが、以後切開部からの排膿等が続き、経口摂取は殆どなく、同月二二日からは栄養状態の悪化のため両手両足に浮腫が見られ、全身の痛みを訴え、四肢の浮腫も著明となっていき、二三日午後以降三八度からときには三九度以上の高熱が続き、全身状態は更に悪化した。

亡亀之進は、死亡当日の昭和五三年二月二五日、喘鳴が持続し、痰がからむようになったため、午後三時ころからサクション(吸引)を行ったりもしたが、午後四時三〇分に死亡した。

2  原告は、亡亀之進の死因はじん肺によるものであるから業務上の事由に基づくものであると主張するので、この点について検討する。

(一)  前記1で認定の事実に加え、(証拠略)によれば、更に以下の事実を認めることができ、以下の認定を覆すに足りる証拠はない。

(1) 亡亀之進が盲腸癌の治療を受けた市立病院では、第一回目の入院当日の昭和五二年五月六日、盲腸部分切除の手術後の同月一四日、再入院当日の昭和五三年一月一三日、胸部エックス線写真の撮影を行い、又、昭和五二年五月六日と昭和五三年一月一三日には呼吸機能検査を行ったが、担当の大平医師は、エックス線写真の像に変化がなく、呼吸機能検査の結果も悪くなかったことから亡亀之進が十分手術に耐えうるものと判断している。

亡亀之進が昭和五二年五月六日に市立病院に入院した際に撮影したエックス線写真について、じん肺の治療にあたっていた医師斎藤久雄、長年じん肺患者の治療に携わり地方じん肺診査医、中央じん肺審査医等の経歴を持つ医師長浜文雄はともに、1/0(第一型と判定するが、標準エックス線フイルムの第一型に至っているとは認められないもの。この尺度は現行じん肺法施行規則一三条、二〇条、二二条で規定されている様式第3で用いられているものである。)であると読影しており、昭和五三年一月一三日に市立病院に再入院した際に撮影したエックス線写真を前記昭和五二年五月六日に撮影したエックス線写真と比較すると、むしろ粒状影がまばらになっており、右斎藤、長浜両医師はじん肺の症状は進行していないとし、右長浜医師は0/1(じん肺の陰影が認められるが第一型と判定するに至らないもの。)であると読影している。

(2) 亡亀之進のじん肺の種類は採炭夫に発生する炭肺であり、炭肺の場合、遊離珪酸によって肺実質が繊(ママ)維化を起こすけい肺に比べエックス線写真に粒状影が鮮明に現れず、肺気腫を主体とした変化が起こるという傾向があり、亡亀之進にも肺気腫の傾向がみられたが、亡亀之進の斎藤病院における初診時から死亡に至るまでの肺活量、一秒率(一段呼出肺活量で一秒量を除したもの)、パーセント肺活量(肺活量予測値で一段呼出肺活量を除したもの。二段肺活量比ともいう。)の数値及びその推移をみると、一般に学会で一秒率が五五パーセント以下の場合を肺気腫とし、七〇パーセント以上の場合を正常としているところ、数値が正常値を示していることが多く、肺気腫の所見はそれほどではなく、又、その間に肺機能の程度の進行はみられない。

(3) 昭和五三年一月二〇日手術後の二一日、二二日にはネブライザーを施行しているが、咳嗽、喀痰ともにときどきしかなく、その後ネブライザーは施行しておらず、死亡当日まで喘鳴の症状は格別現れてはいない。

どんな病気の患者でも死亡直前は心臓の機能が衰え、肺水腫という状態となって、呼吸困難を来し、喘鳴の症状が現れることが多い。

(4) 亡亀之進の体重の推移をみると、昭和五〇年六月一〇日斎藤病院で受診した時は四五・五キログラムであり、その後は次第に増加し、昭和五二年一月には五五キログラムにまでなったが、その後同年三月ころから急激に減少し、同年六月一六日には四〇キログラムにまで下がり、同年八月中旬まで同程度で、以後急激に増加し同年一一月一日には五〇キログラムにまで回復したが、再度減少し昭和五三年一月二〇日には四四キログラムとなっている。そして、第一回目の体重減少は、昭和五二年三月初旬、右下腹部に腫瘍が認められた時期と一致し、同年五月一〇日及び一六日に市立病院で手術を受け、次第に経口摂取できるようになり、小康状態を保っていた時期には体重が回復しており、癌の再発が疑われた時期から死亡するまでは体重が減少しているという関係がある。

(二)  以上認定の亡亀之進の死亡に至るまでの経過等を総合して判断すると、亡亀之進は、粉じんを飛散する場所における業務(労基規則三五条七号)に長年にわたり従事していたためにじん肺に罹患したことが認められるが、その病状はエックス線写真の像による所見に関する限りは軽度であって、肺機能の障害が相当程度あったものと認められるが、斎藤病院における初診時以降死亡に至るまで病状は軽快したとまではいえないものの、進行していなかったものと認められる。

これに対して、亡亀之進の盲腸癌は、昭和五二年三月初旬にその症状が現れた時点ですでに高度に進行しており、同年五月六日の手術によってもなお癌腫瘍が残存し、手術にあたった大平医師は、手術後六か月から一年以内の生命と判断したものであって、その後手術により一時的には症状は軽快したものの、予期されたとおりの再発により症状が悪化して死亡に至ったことが認められる。

してみると、亡亀之進の死因は昭和五二年三月ころから症状が発現した盲腸癌と認めるのが相当であり、死亡直前の喀痰の増加は、およそ病気のいかんを問わず、臨終の際にみられることの多い肺水腫による症状であって、じん肺とは関係が無いものとみるのが相当である。又、亡亀之進の死亡に至るまでの全身状態の悪化も専ら盲腸癌によるものと認められ、じん肺による肺機能の障害が全身状態の悪化を促進したとか、じん肺による症状と盲腸癌による症状が相俟って相互憎悪が進行したものと認めることは困難である。

3  原告は、亡亀之進の死因が盲腸癌であっても、盲腸癌は粉じん作業によるものであるから業務上の事由に基づくものであると主張するので、この点について検討する。

(一)  (証拠略)を総合すると、以下のような、じん肺あるいは粉じん作業と盲腸癌を含めた各種臓器の癌発生との関連を示唆する事実が認められる。

(1) じん肺と肺癌との関連については、多くの疫学調査がじん肺罹患者に肺癌の発症率が高いと報告しており、補償行政上も労働省労働基準局長の通達により、じん肺法によるじん肺管理区分が管理四と決定された者であって、現に療養中の者に発生した原発性の肺癌は、労働基準法施行規則別表一の二第九号に該当する業務上の疾病として取扱われるが、じん肺管理区分が管理二又は三の者に発生した肺癌は、原則として補償の対象にはならないとされている(補償行政上の取扱いの細目は当裁判所に職務上顕著である。)。

(2) じん肺罹患者や粉じん作業者の悪性腫瘍の疫学調査においては肺癌に関するものが多く、その他の各種臓器の悪性腫瘍に関する疫学的研究報告の数は多くない。しかし、各種粉じん暴露と胃癌発生について正の相関関係があるとする疫学的研究報告が存在し、ことに、石綿暴露者や炭鉱労働者に胃癌の発生率が高いということが指摘されている。粉じん暴露と胃癌を除く消化管の癌発生との関係を示す疫学成績は全体的に少ないが、石綿暴露者に消化管の悪性腫瘍の発症率が高いとする報告等、両者の間に正の相関関係があるとする研究報告が存在する。

(3) じん肺を肺局所の病変としてだけでなく、全身病変の面から考えるべきであるという観点から、粉じん作業者あるいはじん肺罹患者にみられる全身的障害についての研究がなされつつある。癌の発生病理についても免疫学的な立場から研究がなされつつあり、粉じん作業者には一般に体液性免疫能の亢進及び細胞性免疫能の低下が認められ、こうした免疫学的異常を基盤とし各種臓器の癌発生が高まるという可能性があるとの見解もある。

(二)  しかし、他方、右証拠によれば以下の事実も認められる。

(1) じん肺と肺がんとの関連に関する専門家会議が労働省労働基準局長に提出した「じん肺と肺がんとの関連に関する専門家会議検討結果報告書」によれば、一九五八年から一九七四年までの一七年間の男子のみ全国じん肺剖検例一一一五例と一九五六年から一九七三年までの一八年間の岩見沢労災病院のじん肺剖検例二六〇例の悪性腫瘍の部位別頻度を一九七四年度の厚生省人口動態統計から得られた数値と比較検討したところ、肺癌についてみると、全国じん肺剖検例一一一五例において、全死亡に対する肺癌合併率の占める粗率は一五・七パーセント、全悪性腫瘍に対する肺癌の粗率は四六・一パーセントであり、岩見沢労災病院のじん肺剖検例二六〇例において、全死亡に対する肺癌合併率の占める粗率は一五・八パーセント、全悪性腫瘍に対する肺癌の粗率は四七・一パーセントであるが、これは一九七四年度の厚生省人口動態統計による全日本の肺癌による死亡数の全死亡数に対する粗率二・六パーセント、全悪性腫瘍に対する肺癌の粗率一三・二パーセントと比較して著しく高率である。しかし、各種悪性腫瘍のうちこのようにじん肺剖検例における全死亡及び全悪性腫瘍に対する粗率が厚生省人口動態統計における全死亡及び全悪性腫瘍に対する粗率のいずれをも上回っているのは、肺癌及び口腔・咽喉頭癌の二者のみであって、胃癌をはじめとする他部位の癌についてはこのような関係は認められていない。本件において問題となる腸癌についてみると、全国じん肺剖検例において、全死亡に対する腸癌(小腸・結腸癌)の合併率の占める粗率は〇・九パーセント、全悪性腫瘍に対する腸癌の粗率は二・六パーセントであり、岩見沢労災病院のじん肺剖検例において、全死亡に対する腸癌の合併率の占める粗率は一・五パーセント、全悪性腫瘍に対する腸癌の粗率は四・六パーセントであるが、全日本の腸癌による死亡数の全死亡数に対する粗率は〇・七パーセント、全悪性腫瘍に対する粗率は三・六パーセントであって、じん肺患者は結核合併、肺気腫、肺性心などにより死亡しやすく、一般人口よりも死亡率が高いため、死亡率の競り合いにより百分率が相対的に低くなるということを考慮に入れても、この間には格別の有意差は認められない。

(2) 前記(一)(3)記載の免疫学的立場からの粉じん吸入と発癌との関連についての見解も現時点においては一つの仮説として呈示されているにとどまり、医学上の知見として広範な支持を得ているものではなく、医学上の知見として確立するためには、なお今後の研究、疫学調査等の結果の集積を待つところが大きい。

(三)  以上を総合して検討すると、じん肺あるいはその原因である各種粉じんの吸入と発癌との関連については、現在各種の研究及び検討がなされており、じん肺と肺癌との間には何らかの関連性があることを推測させるものがあるが、じん肺と本件で問題となっている盲腸癌との間に原因、結果という関係があることを認めさせるには困難である。

そこで、亡亀之進の死因である盲腸癌が労基規則三五条三八号の規定する「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当するか否かについて判断すると、これを肯定するためには、亡亀之進が粉じんを飛散する場所における業務に従事していたことと盲腸癌に罹患したこととの間に相当因果関係が存することが必要であるというべきである。ここにいう相当因果関係とは、労基規則三五条三八号の規定する「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当するか否かという法的判断の一過程をなし、究極的には労災補償制度の趣旨・目的に照らして判断されるべきものであって、その立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうるに足りる蓋然性を証明することであると解すべきであるが、先に認定、判断したところによれば、亡亀之進が粉じんを飛散する場所における業務に従事していたことと盲腸癌に罹患したこととの間にこのような蓋然性があるものということはできないから、相当因果関係があるものと認めることはできない。

三  以上のとおりであるから、亡亀之進の死亡は業務上の事由に基づくものとは認められず、被告のなした本件処分は相当であって、原告の本件請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 福永政彦 裁判官 持本健司 裁判官 峯俊之)

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